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株式会社中央シャッター 代表取締役 市川 慎次郎

「人喜んでこそ商いなり」の思いを胸に、古き良き時代を取り戻したい

もし店舗や会社のシャッターが壊れてしまったら、営業もままならなくなるなどの致命傷になりかねない。そんな予期せぬアクシデントに素早く対応してくれ、状況を解決してくれる頼りになる存在が地域にあるのは実に心強いだろう。中央シャッターは、足立区で1970年に創業以来、地域の店舗や会社のシャッターに関するトラブルを解決してきた専門メーカーだ。創業者である先代社長の市川文胤氏が貫いてきた「地域の人とのつながり」を受け継ぎ、確かな歩みを続ける2代目社長の慎次郎氏に、事業に賭ける思いを聞いた。

― 御社の事業内容を教えてください。

 1970年の創業以来、主に店舗や会社の上下シャッターの修理・製造販売・施工・メンテナンスを行っています。東京・千葉・埼玉・神奈川の1都3県で、中でも城東6区を中心に地域に根差した活動を重視してきました。

 昔はシャッターのメーカーは足立区だけでも30社以上ありましたが、大手の進出などで淘汰が進み、いま区内に残るのは当社を含めて2社だけ。その中で、半世紀弱にわたって地元の方々に可愛がっていただいています。

― 創業の経緯を教えてください。

 父である創業者の市川文胤は、鉄工所を経営していた祖父の三男として生まれました。若い頃から自分で事業を興したいと思っていたようで、タクシーの運転手の仕事で昼夜を問わず働き、3年で300万円の事業資金を貯めたそうです。

 そして、何の事業をしようか…と思っていたときに、知り合いからシャッターの塗装の仕事の話をもらったそうです。塗装であれば、それほど専門的な技術がなくても塗れる…そう考えて始めたのが最初のきっかけで、これが中央シャッターの前身になりました。

 やがて塗装以外にもシャッターの修理の依頼が入るようになり、仕事の幅を広げていきました。テントの修理も請け負うようになり、やがて工場を開設して、上下シャッターのメーカーとしての機能を持つようになったんです。

― どうやって業容を広げていったのでしょうか。

 修理を請け負うには、当然職人さんの技術が必要です。でも当時は現場の職人は「腕さえあればいい」という感じで、時にはお酒を飲みながら作業をしていたような時代でした。

 同じ仕事を頼んでも会社によって金額がまちまちで、変に几帳面な先代は、そんな業界の風習がすごく嫌だったようなんですね。そんなところに自分のお客さんを紹介したくないと考えて、自分の会社で修理もやれるように、自社で職人さんを育てていったようです。

 社員もどんどん増やしていきましたが、時には街をふらふらしていた人に、「遊んでるんだったらうちに来ないか」と仕事を世話して面倒をみるようなこともあったそうです。

 まさに困っている人を放っておけない性格で、そんなところがシャッターの修理という仕事にマッチしていたのかも知れません。当時は経験のない修理の仕事も「うちでできるよ」と軽く引き受け、予想以上に手間がかかって結局赤字…ということも少なくなかったそうです。

 また仕事を辞める会社があれば、そこから社員として雇い、機械も買い取ってあげて、自社の設備もそろえていったといいます。そうやって人も設備もそろえながら、業容も広げていったということですね。

著名経営者

  • エステー株式会社

    鈴木 喬
  • 楽天株式会社

    三木谷 浩史
  • 伊那食品工業株式会社

    塚越 寛
  • 株式会社ファンケル

    池森 賢二
  • マネックスグループ株式会社

    松本 大
  • SBIホールディングス株式会社

    北尾 吉孝

プロフィール

  • お名前市川 慎次郎
  • お名前(ふりがな)いちかわ しんじろう
  • 趣味仕事、家族と一緒にいること
  • 座右の銘出会いに感謝
  • 尊敬する人創業者である父
  • 尊敬する経営者市川 文胤(父)
  • 好きな食べ物家内の手料理
  • 休日の過ごし方家族と一緒に居る
  • 出身校中国語言文化大学