株式会社USEN 代表取締役社長 宇野 康秀

※下記はベンチャー通信33号(2008年7月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。
幼少時代から起業を志し、大学時代は学生ビジネスを手がけた宇野康秀。新卒で入社した会社を約1年で辞め、仲間とともにインテリジェンスを起業。いまやインテリジェンスは日本を代表する総合人材サービス企業に成長した。また98年に宇野は、父親が創業した大阪有線放送社(現:USEN)の社長に就任する。その後、宇野は大胆な社内改革を実行し、同時に光ファイバ事業などの新規事業も立ち上げた。現在、約1万人の社員を擁するUSENグループ。今回、同グループを率いる宇野に取材した。
【起業家の軌跡】


<大学時代は学生ビジネスを手がける>

 宇野康秀は1963年に大阪に生まれた。父親は大阪有線放送社(現:USEN)の創業者で“難波の剛腕”と言われた宇野元忠。宇野自身も幼少の頃から起業を志し、上京。明治学院大学に入学する。大学時代は当時流行ったイベント企画サークルに所属し、数々のイベントをプロデュースした。また同時に先輩が経営するイベント企画会社にも参画した。卒業後すぐに起業しようと考えていた宇野だが、いわゆる企業組織というものを経験しようとリクルートグループに入社。起業を前提にした就職だった。


<インテリジェンスを仲間と起業>

 入社後、3年間ぐらい会社に勤めるつもりであったが、予定より早く起業のタイミングが訪れ、約1年で退社する。そして大学時代の仲間や前職の同期と一緒に、後に総合人材サービスを手がけるインテリジェンスを起業。創業メンバーは合わせて4名。「資産など何も無いんだから、知恵を出してやるしかない」という思いを込めてインテリジェンスという社名にしたという。宇野はインテリジェンス創業の際、父親からの援助は一切受けていない。資本金の1000万円も創業仲間が力を合わせて方々から調達した。当初はチーズバーを開く案が出たり、時には携帯電話の販売を手がけたりと事業内容に紆余曲折はあったが、90年代半ばから人材ビジネスに特化し事業を急成長させる。そして2000年4月に創業11年で店頭公開(現:ジャスダック証券取引所に上場)を果たす。


<父親の会社を継ぎ、大改革を実行>

 「父の会社を継ぐことはない」と思っていた宇野だが、病床に臥していた父に頼まれ、98年に大阪有線放送社(現:USEN)の社長に就任する。そして父の会社を継いだ宇野は大胆な社内改革を行った。まず組織のフラット化。強烈なカリスマ経営者だった父親の会社は、宇野が創業したインテリジェンスとは全く異なる組織であった。そこで宇野は、限りなくフラットな組織に改革し、同時に社員の意識改革も行った。


<将来のブロードバンド時代を見据えて>

 その後、将来のブロードバンド時代を見据えて光ファイバ事業をスタート。また、同時に電柱の無許可使用という負の遺産の清算にも着手する。宇野はNTTや電力会社、自治体、郵政省などに通いつめ負の遺産の清算を完了させ、2000年に正式に有線ラジオ放送業務届出事業者として認められた。また2004年には映画配給会社のギャガ・コミュニケーションズを子会社化し、グループのコンテンツ力をより強化させる。

 2005年に商号を株式会社USENに変更し、完全無料ブロードバンド放送『GyaO(ギャオ)』がスタート。2007年からは有料のテレビ向け動画配信サービス『GyaO NEXT』もスタートさせている。

 常に時代の先端をいく起業家、宇野康秀。今回は宇野に起業家論、そして最近のベンチャー企業について聞いてみた。

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プロフィール

お名前
宇野 康秀
お名前(ふりがな)
うの やすひで
出身
大阪府
生年月日
1963年 8月 12日
身長
170 cm
体重
59 kg
平均睡眠時間
5時間
平均起床時間
7時
趣味
スノーボード、スキューバダイビング
座右の銘
人間万事塞翁が馬
尊敬する人
松下幸之助
出身校
明治学院大学