ニッポンの社長

ニッポンの社長 > 株式会社ブリングアップ史 代表取締役 野田 直史

― ゆっくり身体を休められましたか。

 いいえ。退社して4日目に、前職の得意先だった某大手電機メーカーの営業課長から「ぶらぶらしてるなら、ウチの工場見学に来い!」といわれた。それで行ってみたら、じつは採用面接だったんです(笑)。「来月頭から働けるよな?」と聞かれて。商社を辞めてわずか1週間程度で、火力発電所プラントエンジニアになったんです。

― どうやって仕事をおぼえたのでしょう。

 現場で身体を動かしておぼえていったんです。入社当初に3000枚もの設計書に目を通したんですが、数字や図の意味がさっぱりわからない。上司に相談したら「じゃあ、現場に行ってみるか」と。翌日から現場へ行き、火力発電プラントを再構築する業務に携わった。すると、わずか1ヵ月でベテラン工員も驚くほど、技術を身につけることができた。すぐに夜間責任者に抜てきされて。それからエンジニアとして様々なプラントに携わる機会があり業績を上げ、35歳でプラント設計のリーダーをまかされるまでになったんです。

― 未経験からスタートして5年で、会社のコア人材と評価されるエンジニアへと成長できたわけですね。野田さんが異業種への挑戦を繰り返しながら、いつも成果を出せた理由はなんですか。

 社会で生き残るために歯を食いしばって努力したことです。資本主義社会において、生き残るためには「やる」以外に選択肢はない。「やる」というのは、まかされているミッションを果たすこと。そのミッションがどんなに理不尽に思えても、歯を食いしばってくらいついていくしかない。

 僕はキャリアのなかでも理不尽だと思えるようなことがありました。上司の不正を追及したら、その巻きぞえをくって僕まで辞める羽目になったことも。でも、それでふてくされてしまったら終わり。すぐに転職先を見つけ、その会社の赤字部門の立て直しに貢献しました。

― テレビ業界へと転身した経緯を聞かせてください。

 大学時代の友人に誘われたんです。彼はテレビ番組を制作する会社の社長で「番組制作するスタッフの育成事業をやってくれないか」と。彼とは長いつきあいで、そいつが真剣に僕のことを必要としてくれている。これは引き受けるしかない。

 とはいえ東京での仕事です。妻子がいて尼崎に新築の家を建てたばかりで、僕だけ単身赴任。ところが妻から「行って後悔するか、行かないで後悔するか」と問われ、結局上京することにしました。

 でも、3ヵ月程して「地元に帰りたい」と思うようになってしまった。当時は今のように東京で多くの人脈があるわけではないので、業界のことがなかなか理解できず、知り合いも関西とは違いいないので、余計に苦しみ、一層孤立感を深めて行きました。それでも、「なんのために妻子をおいて上京したんだ、やるしかないだろう」と自分にいい聞かせて、仕事を続けたんです。

著名経営者

  • 株式会社IDOM(旧:株式会社ガリバーインターナショナル)

    羽鳥 兼市
  • 株式会社ネクシィーズ

    近藤 太香巳
  • マネックスグループ株式会社

    松本 大
  • シダックス株式会社

    志太 勤
  • MOVIDA JAPAN株式会社

    孫 泰蔵
  • 株式会社アシックス

    鬼塚 喜八郎

プロフィール

  • お名前野田 直史
  • お名前(ふりがな)のだ なおし
  • 出身福岡県
  • 身長166cm
  • 体重62kg
  • 購読雑誌「致知」「プレジデント」など
  • 家族妻、長男、次男、長女
  • 座右の銘ネバー・ギブアップの精神
  • 尊敬する経営者稲盛 和夫
  • 尊敬する歴史上の人物土方 歳三
  • 好きな映画「愛と青春の旅立ち」
  • 好きなミュージシャン矢沢 永吉