― 田中社長のそうした想いが表れた現場の事例を教えてください。
以前、茨城と滋賀の2つの現場で同時に予期せぬトラブルが起こり、片方の工場は昼間だけ、一方は夜間にしか工事ができないという状況に陥ったことがありました。両方の現場で対応することが必要になり、私自身、車で茨城と滋賀を行ったり来たりという毎日。あのときは1ヵ月半ほど、ほとんど寝ずに仕事をしましたね。
非常に厳しい状況でしたが、乗り越えた後はお客さまからも、「よくがんばってくれた」と声をかけていただきました。他の会社にも「あの会社は絶対に逃げない会社だから」といってもらえていたようです。
当社を立ち上げた後で、やっぱり意地でしたね。「負けたくない」という気持ちだけでした。
― ラカムを設立したのはどのような経緯があったのですか。
前職の会社の売上は6億だったのですが、私が担当していた安全カバーの売上が4億もあったんです。次第に自分で勝負したいと思うようになって、私の部下も一緒についてきてくれるというので、いったん独立しようと決めました。
ところが当時の社長に説得され、いったんは独立を思いとどまることに。なのにその後、安全カバー以外の事業の不振が理由でその会社は解散。独立への気持ちをもう一度巻き直し、2012年にラカムを設立しました。
社長業の楽しさですか?それは正直まだわからない。でもそれを知るために、いまがんばっているという感じかな。ただ、いま一つだけいえるとしたら…。好きなことを誰にも邪魔されずにやれる、これだけは満足です(笑)。
― 今後のビジョンを教えてください。
今後は安全カバーだけでなく、オートメーション機械そのものの製造に乗り出したいと思っています。当社としても、絶対にチャレンジするつもりでいます。20年の経験で培った「何でも屋」の強みを活かして、いろんな業界にものづくりのスキルを持ち込んでいけたらいいですね。
先日、知り合いの加工屋さんが持ち前の技術を使って、アルミのカードケースをつくったらそれが当たって、ハリウッドセレブが持ち歩くような話題の逸品になったんです。
別の板金屋さんは、独自の溶接技術でディズニーランドのアトラクションに使う部品をつくり、米国のウォルトディズニー社から技術の高さを賞賛されました。
当社も今の業界だけにこだわらない技術の使いみちができれば夢は大きく広がるし、それがものづくりのロマンでしょうね。
「何でも屋」の意地を持ち続け、つねに新しいものを生み出す気概を胸に、夢のあるカッコいい製造業の姿に近づけていけたらいいなと思っています。
■ 田中 將智 (たなか まさとも)
1973年10月11日、埼玉県生まれ。幼少期はF1レーサーに憧れ、中学時代には機械いじりに熱中する。やがてオートバイのレースに参加するようになり、レーサーを目指すも、同僚の事故の影響もあって夢をあきらめ、応援者の1人だった会社社長の誘いを受けてファクトリーオートメーションの装置メーカーに入社。安全カバー部門に配属され、営業から設計、製作、工事まですべての業務を経験。20年にわたって勤務したあと、2012年に独立して株式会社ラカムを設立した。
プロフィール
- お名前田中 將智
- お名前(ふりがな)たなか まさとも