― それで「幸せから生まれる幸せ」という企業理念を掲げたわけですね。
はい。言葉になっていなかっただけで、その理念は私の無意識のなかにあったんです。成功報酬型の求人媒体という従来にないビジネスモデルを考案できたのも、この原点があればこそ。
既存の求人媒体では、料金が高いために広告を出さない企業も多い。アルバイトを探している人は、その企業の求人情報を知ることもできない。つまり、求人側・求職側双方が不満をもっている。成功報酬型のモデルならば、その不満を解消し、多くの人々を幸福にできるわけです。
業績が低迷していた時期、「なぜ、こんな苦しい思いをしてこの事業をやっているのか」と自分に問い続けました。メンバー同士でも徹底的に話し合いました。その結果、「私たちは“幸せから生まれる幸せ”のためにやっているのだ」という結論が出た。それを企業理念に掲げたわけです。
― 理念を明文化したことで、なにが変わりましたか。
ビジネスモデルを変更しました。理念にもとづいて、より多くの人が幸福になるようにしようと。それまでは「求人に応募があったとき」に料金が発生していたのを、「採用できたとき」に変えました。顧客にとっては、より費用対効果が高くなったわけです。また、顧客から受け取った料金のなかから、採用された求職者にお祝い金を支払うことにしました。
このビジネスモデル修正の効果が出てきたのは、創業から1年経った2007年3月ごろから。広告を出す企業と求職者がともに増えていき、その年の9月には月商が1,000万円を超えるほどになりました。
― より理念を体現するビジネスモデルに変えたことで、企業や求職者に支持されたわけですね。社員の採用やマネジメントの面で変化はありましたか。
「理念に共感した」という理由で入社した人は少ないと思います。それよりも、「新しいビジネスに携われる」と、ビジネスモデルに魅力を感じたという動機のほうが多いですね。
ただ「新しいビジネス」は、既存のサービスよりも多くの人を幸福にできる可能性が高い。つまり、新しいビジネスモデルに共感したということは、間接的に理念に共感したといえるでしょう。
優秀な人材が入社したこともあって、事業は拡大の一途。2008年には新たに正社員採用向けの求人媒体をスタートさせ、年商3億円を突破しました。3年後の2011年は10億円を超え、その年の12月、東証マザーズに株式上場を果たすことができました。
―
上場企業の社長として史上最年少の記録を更新しました。年上の社員も多いと思いますが、村上流の人材マネジメント術はありますか。
悪い点があれば、見逃したり、あいまいにしたりせず、ストレートにいうことですね。私は怒ったあとでもすぐに笑顔になってしまう性分で、悪い点を指摘したあとでも、すぐに笑顔になる。そのおかげで、いわれた社員も感情的に反発せず、私の指摘したことを素直に受けとめてくれているのかもしれません。
また、創業当時から「遅刻をしない」や「約束を破らない」など、社会人としてのルールを厳しく守るように指導してきました。学生だけで始めた会社なので、甘えが出ないようにするためです。オフィスに電波時計をおいて、1秒でも遅刻したら叱っていました(笑)。
プロフィール
- お名前村上 太一
- お名前(ふりがな)むらかみ たいち
- 出身東京都
- 出身校早稲田大学政治経済学部