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ニッポンの社長 > 株式会社和田総研 代表取締役会長 和田 一夫

― これまでに和田さんは、熱海の創業店舗の焼失、ブラジルヤオハンの撤退、ヤオハンジャパンの倒産など、数多くの苦境を経験してきました(次ページの年表参照)。なぜ、これらの苦境から何度も復活することができたのですか?

 「無一物中無尽蔵」という母の教えを実行したからです。たとえモノが無くなっても、人間には無尽蔵のエネルギーがある。だから、会社が倒産しても、無一文になっても、人間のエネルギーはなくならない。「また復活しよう」と考え、新たなチャレンジをすればいいのです。失敗の検証と反省はすべきですが、くよくよする必要はありません。

― だから、82歳の現在もチャレンジを続けているわけですね。

 今でも「これから伸びるだろうな」という事業は感覚でわかります。ただ、私は年齢的に第一線の経営者にはなれません。だから、「カンパニードクター」になろうと思っているんです。「カンパニードクター」とは、企業に処方箋を出すコンサルタントとのこと。自身が経験した成功と失敗をもとに、会社の病気を治療する医師のような存在です。

 ちなみに、私が「カンパニードクター」になろうと思ったのは、70歳の時。ヤオハンの倒産から2年が経った頃です。そして「カンパニードクター」になるために、10年間勉強しようと決意しました。

― 70歳から10年間勉強しようと決意するのはすごいエネルギーですね。

 やはり10年ぐらいは苦労して勉強しないと、一人前にはなれませんから。ただ、ひとつ気がかりだったのが、80歳から成功した先人がいるのかどうか。もう、いろんな本をむさぼるように読みましたよ。

 すると、2人の成功者がみつかりました。ひとりが鄧小平。彼は3回失脚した後、副総理に復活しました。3回目の失脚から復活したとき、彼の年齢は74歳。その後、88歳までの14年間、中国の改革解放政策の陣頭指揮をとりました。つまり、彼は80歳を過ぎてからも大活躍したのです。

 もうひとりは、松永安左エ門。東京電力の創業者です。太平洋戦争が終わった後、日本には電力事業の民営化と再編成を行う必要が生じました。しかし、電力事業の第一線で活躍していた人たちがみんな戦争で亡くなってしまった。そこで、すでに引退していた79歳の松永安左エ門にお鉢がまわってきたのです。翌年、彼は現在の東京電力を設立。その後、日本全国で電力事業の再編成を成し遂げました。

 私はこの2人に惚れ込みました。そして過去に成功した人がいるなら、自分もできるはずだと考えたんです。これから10年間勉強したら、世界的な「カンパニードクター」として活躍できるかもしれないと。

― そして現在、国際経営コンサルタントとして日中両国で活動しているわけですね。

 ええ。私が若い頃は、松下幸之助さん、井深大さん、本田宗一郎さんから多くのことを学びました。何か壁にぶつかると、彼らの本を読んだり、講演を聴きに行ったりしました。偉大な同世代の経営者から、学ぶ機会があったわけです。

 でも残念ながら、みなさん他界されてしまった。だから僭越ながら、私が彼らのような役割を担うべきだと考えているんです。どうすれば中国で成功できるのか?大失敗をせずに世界企業をつくれるのか?こういったことを若い人に伝えていきたい。私の経験と若い人のセンスを組み合わせれば、すごい経営者が生まれると確信しています。

著名経営者

  • 株式会社IDOM(旧:株式会社ガリバーインターナショナル)

    羽鳥 兼市
  • ヤマト運輸株式会社

    小倉 昌男
  • 株式会社ネクシィーズ

    近藤 太香巳
  • 株式会社ドリームインキュベータ

    堀 紘一
  • マネックスグループ株式会社

    松本 大
  • 澤田ホールディングス株式会社

    澤田 秀雄

プロフィール

  • お名前和田 一夫
  • お名前(ふりがな)わだ かずお
  • 出身神奈川県
  • 出身校日本大学