

―小さい頃から起業家を目指していたんですか。
自分で独立して商売をしたいとは思っていましたよ。私は幼い頃に両親を亡くして、祖父母に育てられました。祖父は厳格な人で、幼い頃から雑用などいろんな仕事を言いつけるんです。
幼い頃から、役目、分担を与えられたので、自然と自立心が芽生えていったんです。また仕事の仕組みが分かると、自然と興味もわいてくる。祖父の家は朝から晩まで、たくさんの使用人がせわしなく働いている。店に出入りする商人たちのざわめき。すごく活気があった。そんな光景を見ていて、「商売って面白いんだな」って感じたんです。
―やっぱり小さい頃から自立していたのが、大きく影響していたんですか。
そうですね。甘えたくても甘えられなかったんです。両親もいないし、自分で自立して生活していくしかない。そんな状況だったんです。人間は本来、弱い存在ですよね。ともすれば、すぐに人に頼ろうとする。人に頼ると、自分で考えることをしなくなるんです。
―若い頃の経験で、今でも印象に残っていることはありますか。
ちょうど20代の頃、まだ私がメリヤスの輸入販売をしていた頃です。飛び込みで日本一のメリヤスメーカー「丸松」の工場に行きました。最初は「若造が何をしに来たんだ」というような対応で、けんもほろろだったんですが、しばらくすると私の熱意も認められて、その工場長と仲良くなったんです。藤村さんという工場長なんですが、歳は50代で私はその時まだ20代。親子ほどの年の差がありました。
でも不思議と気が合って、自宅に呼んでもらったりしたんです。そんな藤村さんが、「飛行機に乗ろうか」と誘ってくれたことがあった。大阪の八尾空港に行くと、翼が布張りの単葉機がある。翼を叩くと、ボンボンって太鼓みたいな音がした。本当にこんな飛行機で大丈夫なのか。少し不安になりました。
東京までの2時間ほどの行程は、とてもエキサイティングでした。パイロットに「どうですか。安藤さんも操縦してみますか」って言われた。調子に乗った私は、操縦桿を握った。そしたら、いきなり機体が激しく揺れる。私は、飛行機はおろか自動車の運転も知らない。機体は急上昇したかと思うと、急降下する。「おい、大丈夫か」。藤村さんは真顔で私に言う。でも私は愉快この上ないといった気持ちだった。とても楽しいフライトでした。戦前のいい思い出です。
―いまの学生を見て、思うことはありますか。
自分が若かった頃は、大学に行ける人なんて、ほんの一握り。みんな必死になって働いていた時代です。現在の日本は豊かになって、ハングリー精神も薄れてきた。若い人たちが遊び気分で大学生活を過ごすのを見ていて、うらやましいというより、大切な時間を浪費しているのが、かわいそうな気になります。
青春を楽しむのもいいけど、学ぶときは学び、働くときは働くべきです。そして、学んだり働いたりすることに喜びを見出せないと、真の幸福はつかめないと思います。私は日清食品という会社を、仕事を通じて人間らしさを学べる場所にしたいと常に考えてきました。
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お名前 安藤 百福 |
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お名前(ふりがな) あんどう ももふく |
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出身 台湾 |
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生年月日 1910年 3月 5日 |