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ニッポンの社長 > インタビュー > 顧客主義を追求する社長 > 株式会社IDOM(旧:株式会社ガリバーインターナショナル) 名誉会長 羽鳥 兼市

― 当面は国内の拡大に集中しますか。

 今年から本格的に東南アジアに進出しようと思っています。海外展開については、これまで試行錯誤の連続だったんです。2004年に初めてアメリカに進出したときは、「買取専門という、こちらのやり方を教えてやろう」という気持ちで行ったんですが、うまくいきませんでした。“郷に入らば郷に従え”という言葉の通り、こちらのビジネスモデルを押しつけてもダメ。アメリカには現地のお客さんが抱えている課題があって、それを解決するようなビジネスじゃないといけない。いまは“預かり販売”という個人のお客さんから委託を受けて販売する方法で、市場開拓を進めています。

― アメリカ以外への進出戦略を教えてください。

 実は、韓国、インドから、ロシア、アフリカまで進出した時期があったんですが、4年前にアメリカ以外はすべて撤退しました。失敗の原因は人材不足。「世界を舞台に活躍したい」という夢だけあって、実力が十分でない社員が多かった。この4年間、「大きな夢をもつのはいいが、その夢を実現するだけの能力を身につけなければいけない」と若手社員に説いて回りました。スキルを高めるには、目の前にある仕事をしっかりこなして、経験を積み重ねるしかない。そうやって地道に努力して、夢を実現しなければいけない、と。

― 最後に、後継者の育成について聞かせてください。2008年6月、息子さん2人を同時に代表取締役社長に就任させましたが、その狙いはなんですか。

 事業承継はもう少し先だと思っていたんですが、長男と次男から「2人を同格の社長にしてくれ」と申し出があったんです。最初に聞いたときは、何をバカな、と思いましたよ。でも彼らは真剣です。まず、トップの暴走によって経営判断を誤るのを防ぐことができると。さらに、2人で徹底的に議論することで、より良い案を生み出すこともできるという。下に指示するときは、必ず2人が合意したものを一元化して下ろすと。考えれば考えるほど、これは名案だと思えて、決断したのです。

― いつ頃、息子さんたちに経営を任せる予定ですか。

 すでに実務面は2人に任せています。私は株式会社IDOM(旧:株式会社ガリバーインターナショナル)の精神を若い世代に伝える役割を担います。その一環として、70歳になって、ユーラシア大陸を横断するマラソンに挑戦。毎日40㎞以上走り、14ヵ月で約1万3350㎞を完走した。その姿を見て、社員にチャレンジ精神を学んでほしかったからです。これからも走り続けますよ。

■ 羽鳥 兼市 (はとり けんいち)

1940年、福島県生まれ。1959年に高校を卒業後、父親が経営する有限会社羽鳥自動車工業に入社。1966年、親族とともに自動車修理業などを手がける羽鳥総業を立ち上げるが、1976年に倒産。同年、中古車販売の東京マイカー販売株式会社を設立。1994年、買取専門の株式会社ガリバーインターナショナル・コーポレーション(現:株式会社IDOM))を設立、代表取締役社長に就任。同社は1998年に株式を店頭公開、2003年に東証一部へ上場。2008年、息子2人を同格の代表取締役社長とし、自らは名誉会長に就任。現在、47都道府県に約450店舗、アフターサービスを充実させた超大型店の出店やサブスクリプションサービスなどのCaaS領域にも進出している。

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プロフィール

  • お名前羽鳥 兼市
  • お名前(ふりがな)はとり けんいち